ジャカードのソフト屋さん 以前こんな会社とつきあっていました

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I 社のこと 3

当時、ジャカード、ドビーなどの織物ソフトを開発しているメーカーで、世界的な展示会の常連といえば、フランスの I 社、オランダの N 社、ベルギーの S 社、ドイツの E 社…、こんなところかな?当時、S 社、E 社はユニックスで製品を開発し、N 社、I 社はDos で開発し、 Windows に移行中でした。私の中ではこの4社が「世界メーカー」でした。

I 社はソルボンヌ大学出身の3人の技術者が設立した会社で、パリに本社がありました。私が参加した当時は、3人の内1人(社長)がアメリカのマーケットを開拓するため、アメリカ(ニューヨーク)の事務所に常駐していました。私はパリの本社を訪ねて、本社に常駐していた副社長と交渉して(当時、私は、彼が社長だと思っていました)、無事、I 社の日本代理店に指名されました。その時の条件は、年間数百万(数字は忘れました)を売るように、という、とても緩やかな条件で、日本の独占代理店にしてくれました。ソフト2台分無償で貸してくれ、別途、専用グラフィックボードが必要(DOSで動いていたので)なので、それは数十万円の費用を徴収されました。1996年のことです。

一週間ほど、パリで講習を受け、その足でオランダに寄って、前の会社で多少お付き合いのあった N 社(総合商社が日本代理店をしていました)に挨拶をして、日本に帰国しました。世界の4大メーカーの一角である I 社の日本代理店…。一週間の講習で、自分自身IT技術者の端くれになったと思っていました。

その後、厳しい現実に直面します。
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I 社のこと 2

織物の設計をコンピュータで設計するというアイデアは1980年前後、世界各地で同時発生的に始まりました。その頃、ようやくコンピューターというものが、性能面・価格面でそのような用途で使えるようになってきたということでしょう。といっても、そのような用途に使えるコンピューターが「既製品」としてあったわけではないので、自分でハードを製作したり、汎用ハードに自作の部品を組み込んだり、要するにハードにまで踏み込んだ開発が必要でした。

私が独立しようとした頃は、主流はUnix、一部でDos、水面下でWindows 95用の開発がスタートしていた頃でした。

日本でもジャカード織物の分野では、K社、R社、T社などが開発して販売していました。K社が Unix、T 社が NEC の DOS、R 社が Windows 3.1で開発していました。

私がフランスのI社に乗り込んだ当時(1996年)は、Windows 95 が出たばかりの頃であり、汎用的な Windows 機で(あるいは、Macで)ソフト開発している例は少なかった。前回も言った通り、開発者はもちろんですが、ユーザーも半ば「コンピュータ技術者」という雰囲気をもっていました。その中で、I 社は、普通のテキスタイルデザイナー、ファッションデザイナーをターゲットにユーザーに使いやすいシステムを目指していました。それが、前年(1995年)のミラノの展示会で、「ブースに若い女性ばかりが集まっている」という結果に繋がっていたのだと思います。

私は、それまで勤めていた会社では、この分野の仕事はほとんどしたことがなく、ソフトのこともハードのことも、また、マーケットのことも何もかも分からない状態(自分自身では、「多少知っている」と思っていたのですが、それが全く根拠のないものであることがすぐに判明しました)で、いきなり、FAX(私はまだメールはしていなかった)でアポイントをとって乗り込みました。

I社のこと

私が始めてこの業界に入ったのは、1996年、もう20年前のことになります。フランスのI社の代理店として、I 社のソフトを日本で販売することになりました。

なぜ、I 社か?

その当時織物用ソフトのメーカーは世界で、文字通り、ゴマンとありました。1995年にミラノで開かれた ITMA(繊維機械ショー)でも何十社というソフトメーカーが出展していました。そのうち、10何社の織物用ソフトの専業メーカーが一箇所に集まってブースを出店していたのですが…。その中で異彩を放ったブースがありました。フランスの I 社のブースでした。織物のソフトというのは、織物の「機械」を動かす機械なので、基本的に、男の世界です。それも、当時は「技術的な理屈」で成り立つ世界でしたので、「技術者」というか「ガッテン系」の人間が多かった。その中で、I 社は、エレガントに着飾った若い女性が多かった。主催者側の人間もそうですし、ブースに訪れた客側の人間も、若い女性が多かった。「溝鼠(ドブネズミ)」ルックの男の海の中で、そこだけ、華やかな女の島を形成しておりました。(当時の織物ソフトというのは、今と違って、まだ、「コンピュータ技術者」の世界でした。)

翌年(1996年)私が、勤めていた会社を退職するにあたり、私は、海外の進んだ織物ソフトを日本に紹介、販売しようとしました。私の中で選択肢は2つ、フランスの I 社と、以前述べたオランダの N 社です。

http://texcad.blog.fc2.com/blog-entry-13.html

N 社はいいソフト(特にカーペット関係は)を作っていたのですが、それまで勤めていた会社とも繋がりがあるし、何よりも、総合商社である I 社が日本の代理店をしていました。そこで、消去法で、I 社の代理店になるべく、私は単身パリに乗り込みました。

N社のこと 3

N社はそういう成り立ちなので、その時々の方針も、その時々の社長や、その時々の経営状態でとても不安定で、代理店は振り回されました。上海事務所開設の頃は、そりゃあすごかった。日本向け価格も今から思えばかなり安く設定されていた。多分、日本向け価格はアジア地区最安値だったと思います。

ですが、2006年、突然、一方的に価格を引き上げを通告して来ました。予告無し…というか、お客様に見積済みのもの、受注済みのものまで過去に遡って値上げするという要求をしてきました。(「過去に遡って値上げ」など、私の常識にはありません。)それも従来価格の【3倍】に上げるという…。

すでに注文を頂いている客様には、無茶を承知で値上げをお願いして回るなど、多大のご迷惑をおかけしました。受注済みのお客様にこれ以上迷惑をかけられないので、発注済みのもについては、一部N社の要求を呑み、あとは継続交渉となりました。

価格だけでなく、私と、N社のアジア・中国統括責任者(おかまちゃん)との間で合意したことを否定してくる、約束を守らない。たとえば、英語版を日本語に翻訳する費用はN社が負担すると書面で合意されている。ところがN社は何やかんや理屈をつけて、ついに翻訳料は支払われることはなかった。だから、N社のソフトの日本語版、マニュアルの著作権は私にあります。もし無断で使われているところを発見されたら、通報をお願いします(笑)。

「ワンインチ・ワーム・ハーフインチ・ソウル」【一寸の虫にも五分の魂】、自己流英語です(笑)。そういう思いと、お客様にご迷惑をおかけしてはいけないという思いが交錯した、苦しい交渉でした。私の姿勢は100%の値上げ(元値の2倍)までは応ずるがそれ以上の値上げは無理というものです。N社が資金繰りに窮してくるタイミングではN社側も一時軟化してきたのですが、一旦危機を乗り切ると、再び強硬になり、そして最後は、辛い決断をせざるを得なくなりました。2008年の夏のことです。正式には2009年2月にN社の代理店をやめ、多くのお客様にご迷惑をおかけする結果となってしまいました。

私の不明を恥じるとともに、あらためて、ご迷惑をおかけしたお客様にお詫びいたします。

そんなこんなで、その二年の間、私は、世界中のソフトを見て回りました。フランス、ドイツ、スロベニア、イギリス、インド、スペイン、中国…。その結果、私は自信をもってお薦めすることができます。織物のソフトとしては、E社のものが世界で最も進んだ、クリエイティブで、そして効率的なソフトだと思います。N社のソフトも悪くはないのですが、もともとがカーペット用に開発されたものです。後から買収した各社ソフトのいいところを取り入れてはいるのですが、「寄せ集め」感が拭えません。

N社の従業員(おかまちゃんも含めて)は全員フレンドリーで楽しいやつらでした。彼らとビジネスできたことは幸せだったと思っています。今でもメールのやり取りなど交流があります。でも、マネーゲームにしか興味が無い経営陣は、もう勘弁してほしいですね。

N社のこと 2

中国が世界の工場となって、特に繊維産業が大隆盛になったのは歴史の示す通りです。その意味で、S氏は非常に先見の明があったと言うべきでしょうか。ですが、見込み違いだったのは、中国人はソフトにお金を掛けない。中国はコピー大国でもあります。現地製のソフトが1/20くらいの価格で流通する、N社自身の海賊版が1/10以下の価格で堂々と売られている(立派なホームページが立ち上げてあり、ネットで買える)。

直接生産に結びつく織機などは、最新鋭のものを、何十台、何百台と購入します。日本とは一桁、二桁違います。だけどソフトにお金をかける発想はないみたいです。魅力的なデザインを自社で開発しようという意欲が、今のところあまりない。

当初の目論見と違って、計画は大失敗。BF社は2006年~2008年にかけて、事業の大リストラを行いました。2006年5月には、中国進出劇を主導したS氏は解任されました(それでも7千万円の退職金を手にし、それがBF社の借入金を増大させ、N社のスタッフの怨嗟の声が聞こえました)。赤字を補うために、BF社はたくさんあった、子会社を次から次へと売却。最後に残ったのはN社一社になってしまいました。それでも足りなくて、N社自身を2つに分割して、利益の出る方の部門を売却してしまいました。

残ったのはN社の半分だけ、その上に統括する持ち株会社(BF社)が乗っかるという、とてもいびつな形となってしまいました。これでは無駄な経費を垂れ流すだけでしょう。

そこまで資産を売却しても何億円かの借入金が返済できずに残ってしまった。返済期日が刻一刻と迫ってくると、株価も急落、額面を割って下がってくる。私などは、もう倒産しかないかも…と思っていました。

そこでBF社は「奇策」(まあ、大株主であるファンド間ではあらかじめそんなストーリーができていたのでしょうが)に打って出ました。

株価

発行済み株式を1/20に減資して、安値で新株を発行、その新株で借入金をチャラにしてもらいました。それが2008年です。それ以降も4期連続で赤字を計上しています。現在、株価も最盛期の1/100以下のレベルで推移しています。次の「秘策」はあるのでしょうか?

BF社は中国事業からも一刻も早く撤退(完全撤退ではなく、2~3人残っているみたいですけど)したかったのでしょう。「おかまちゃん」も、その相方も、2008年にリストラされました。N社の社長C氏も、一時は、他のファンドに声をかけて、N社を自分で買収しようとしたのですが、夢破れて2009年頃に退社しました。現在はBF社の社長がN社の社長を兼任しています。まあ、今や、持ち株会社、事業会社と別の社長が存在する理由もないでしょうからね。

それぞれの「チャイニーズドリーム」の、あまりに早すぎる終焉でした。


総領事

乾杯! S氏(左)と上海総領事
プロフィール

誇大

Author:誇大
こんにちは、誇大です。織物用の設計ソフトを販売しています。次世代の織物(炭素繊維・アラミド繊維【ケブラー】、ガラス繊維使用の3次元織物、くもの糸も有望かも)用ソフトもあります。
日本の織物業界のお役に立てれば…と思っています。
私の妄想にお付き合いお願いします。

時間があったら、うちのホームページもよろしく。
http://www.visionjp.co.jp

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